アラサー現実に直面する

何も求めない米んち

今年の夏の話

身体のなかで一番大事にしている喉だ。

わたしの好きなことは、しゃべることと歌うことなので、毎日が不安だ。

このままこの枯れた声で、一生過ごさなければならないんだろうか。

なんだかんだ、奇病にかかることはあったけど、運よくはやいうちに治ってきた。

扁桃腺の弱さには常々悩んでいたけど、こんなことになるなんて想像していなかった。

 

これから会う友達は、

あまりしゃべれないわたしでも、仲良くしてくれるだろうか。

しゃべれないと知ったら、がっかりするだろうか。

声を出す以外でできることで、全力で楽しんでもらいたい。

もしわたしが、会った時に友達がしゃべれないということだったら、

そりゃもう全力でしゃべらせずに、しゃべれるときの数倍は楽しくさせたい。

 

 

毎日が不安だ。だれも仕切ってくれない。寄り添ってくれない。

ひたすらひとりで、どうするかを選択しなければならなくて。

気を紛らすばかりだ。

さいころから、この絶望からいつ解放されるんだろうと思っていたけど、

全然だな。

 

もう何もかもあきらめて、妥協して、結婚してしまおうとか思ったりもする。

ただ苗字を変えるだけの結婚、そんなのだれも許さないだろうな。