アラサー現実に直面する

何も求めない米んち

人を褒めるということ

男女問わず尊敬する人がたくさんいる。

いいなあ、と思う部分があると、その人にそれを伝えたくなる。

人は誰しも自分に自信がない。というか、自信のないところに魅力を感じるので、そういうひとたちがまわりに溢れているのか。

最近は人付き合いも最低限にしているので、そのいいなあと思うひととしか接しない。

一緒にいて傷つかないひとを選ぶのは当たり前である。仕事とは別として、数時間に何千円も使うのだから(飲み会のこと。そう表現すると、本当に高値だな…)いやな思いをして帰るのは本当に嫌なのだ。二度と会わねえ!と憤慨しながら帰った夜道に誓っている。

 

それにしても今夜はちょっと褒めすぎたかなあ。特に、落としたいとか、目的はなかったんだけど、あるとすれば『敵じゃないよ、善良人間だよ』アピールかな。自己防衛。

自己防衛のために怒ったりするじゃない、キレる若者。わたしそれができないから、怒りの代わりなのかなとか考えてしまって、アドラー読むしかねえな。

なんかそういう、変な意味でとらえられたら嫌だなあ。そんな偏屈な人はいないか。信用できないと思われる可能性はあるから、気をつけなければならない。

 

わたしの経験上だけど、褒めてくれるって非常に嬉しいことではないか?まず他人から言われるってのが貴重なことだと思っているんだけどどうだろう。

だからこそわたしは指摘することができない。批判的なことは一切言えない。無責任なのだ、それはわたしの役目ではないと思うからだ。少なからず友達として、帰宅前に一旦よっこいしょと荷物を預けるような場(飲み会)で、指摘もなにもないでしょうに。『自分が一番わかっている』ことをあえて他人から言う必要はないだろう。

 

こんなわたしも、後輩や仕事の関係ではちゃんと言ったりする、怒ることはもちろんないけど、お節介ババアになることもある。

 

原動力が『ひとのため』だけど、それって全部自分のため。大丈夫か?

 

劣等感がひどいんだろう。他人が輝いて見える。羨ましいんだと思う。嫉妬なんだと思う。素敵だなと思うところもあるけど、妬んでる部分もあることに気付く。

心がクリーンなひとって、そんなことも思い浮かばないんじゃないかな。なんにも思わないのかな。

わたしはクリーンな心を持ってると思ってる。だめですか。ちがいますか。