地元の友達
地元は関東圏内なのですぐに帰ってこれる。
久しぶりに帰ってきて、腐れ縁の友と会う。3人組の女たち。それぞれ2人ずつで共通の趣味があり、その2人で会ったりもする。
みんなよく笑う。つっこむ、ボケる。笑いのツボが一緒なんだろうけど。
なんか変な距離感なんだよな。単なる報告会にすぎないんだけど。アメトークの立ちトークに似てるような感じ。お互いで話をまわしていって、反応したり質問したりする。
しかし今日はいつもより深刻な話もあった。
涙を浮かべていたのがわかった。
何か力になりたい!というお節介スイッチが押されかけたんだけど、いかんいかん。押し付けてはいけない。わたしなりに言葉を選びつつ意見を言った。わたしはすぐ深刻になるからいけない。もうひとりがいいアシストをしてくれる。ここで、ああこの3人はわりと違う人種なんだとわかる。助かった。熱くなりそうなところに冷や水ぶっかけてくれた。
アドバイスなんてものはなんの役にも立たない。経験談だけが寄り添ってくれることもある。
気を遣わなきゃいけないけど、何かが変わることもこわい。
わたしはなるべく変わらないことを選択したい、もうひとりがまたきっとなにかを投げてくれる。そうやってバランスをゆらゆらとっていく。
いつもの、ひとり猛省会がスタートしている。
やっぱりうまく喋れないもんだな、喋ったことは真実だっただろうか、正解だっただろうか、聞くだけでよかったんじゃないだろうか、真剣さは伝わっただろうか、、
複雑なことを言いすぎて目的を失うくせがある。わたしは彼女がどんな選択をしても、友達でいるだろうし、嫌いにならないし、より多く笑っていて欲しいと思うし、心から愛してくれるひとに大事にされて欲しい。
人より、へんてこりんな経験をしてきていると自負があるんだけど、それが表現を邪魔するんだよな。クソ。悔しい。
これからいろんな選択が迫られると思う、いまは決定的なときじゃない。ゆっくり、どうやって流れていくのか、身を任せていてもいいと思う。自分からなにかを起こそうとしなくていい。なるようになるから。選択を迫られたら、ちゃんと考えることができると思うし、誠実な人だから大丈夫。
いろんなつらいことがあったんだろうに。
わたしたちは、今日みたいにだらだらとくだらない話をしてバカ笑いすることしかできない。
なんか力になれねえかなあー。。適当にポイ捨てしていいような道路になれたらなあ、、ゴミ箱的存在になりたい、、
消えた性欲
性欲が消えた。
元気がないんだと思う。身体の不調ばかりが気になって、元気+αなんぞ、そんな余裕はない。
いかにはやく眠るかということばかり考えている。
元気のなかったときのことを思い出したりしてしまう。
東京が嫌い
と、言われてしまった。
田舎へ帰る後輩に、会いたいと思ってご飯に誘ったのだけど、
東京が嫌いだったし、別れ際に仲良くもないひとからたくさん連絡がきて惜しんでくれるのがよくわからない と言っていた。このごはんも、そのうちの1つになってしまったんだと思って、全身に緊張が走った
しまったー、むりやり誘っちゃったんだな、
わたしによくある、片思いである。
ありがた迷惑ってやつよな。わたしもよく被ることもあるし、ざけんな!って思うし、そういう歳上になりたくないって思ってたから、
なっちゃってるぞ。おい。老いだぞそれは。
やっちまったな。反省。
なんならそんな変な空気を読むことなく、ガハハー!!って笑ってたらよかったんだろうけど。。敏感すぎてな。ごめん。
これをひっくるめて、彼女にとっての東京だったんだろう。わたしはこっちで育ってるけど、その東京への偏見ってのはすごくよくわかる。理解はできる。でもわたしは、彼女ほど心細い思いはおそらくしていない。
わたしから誘って遊ぶってことはほとんどないんだけど、たまに出しゃばるとこうなるんだよな。タダメシ食えたぜラッキーくらいに思ってくれたらいいな。こんなんでお金払わせられたらごめんだもん。
うむ。こういうこともある。
人を褒めるということ
男女問わず尊敬する人がたくさんいる。
いいなあ、と思う部分があると、その人にそれを伝えたくなる。
人は誰しも自分に自信がない。というか、自信のないところに魅力を感じるので、そういうひとたちがまわりに溢れているのか。
最近は人付き合いも最低限にしているので、そのいいなあと思うひととしか接しない。
一緒にいて傷つかないひとを選ぶのは当たり前である。仕事とは別として、数時間に何千円も使うのだから(飲み会のこと。そう表現すると、本当に高値だな…)いやな思いをして帰るのは本当に嫌なのだ。二度と会わねえ!と憤慨しながら帰った夜道に誓っている。
それにしても今夜はちょっと褒めすぎたかなあ。特に、落としたいとか、目的はなかったんだけど、あるとすれば『敵じゃないよ、善良人間だよ』アピールかな。自己防衛。
自己防衛のために怒ったりするじゃない、キレる若者。わたしそれができないから、怒りの代わりなのかなとか考えてしまって、アドラー読むしかねえな。
なんかそういう、変な意味でとらえられたら嫌だなあ。そんな偏屈な人はいないか。信用できないと思われる可能性はあるから、気をつけなければならない。
わたしの経験上だけど、褒めてくれるって非常に嬉しいことではないか?まず他人から言われるってのが貴重なことだと思っているんだけどどうだろう。
だからこそわたしは指摘することができない。批判的なことは一切言えない。無責任なのだ、それはわたしの役目ではないと思うからだ。少なからず友達として、帰宅前に一旦よっこいしょと荷物を預けるような場(飲み会)で、指摘もなにもないでしょうに。『自分が一番わかっている』ことをあえて他人から言う必要はないだろう。
こんなわたしも、後輩や仕事の関係ではちゃんと言ったりする、怒ることはもちろんないけど、お節介ババアになることもある。
原動力が『ひとのため』だけど、それって全部自分のため。大丈夫か?
劣等感がひどいんだろう。他人が輝いて見える。羨ましいんだと思う。嫉妬なんだと思う。素敵だなと思うところもあるけど、妬んでる部分もあることに気付く。
心がクリーンなひとって、そんなことも思い浮かばないんじゃないかな。なんにも思わないのかな。
わたしはクリーンな心を持ってると思ってる。だめですか。ちがいますか。
ネットサーフィン
だれとも喋らない1日だった
素敵なひとにでも出くわしたらナンパしてやる、とか思っているけど、まあ喋らない1日だった
アウターがほしい
何店舗も歩き回ってアウターを探したがなかなかぐっとくるものがない
試着しても買うことはほとんどない
インターネットで洋服を買う人ってなんなんだ、お金持ちなのか?福袋買ってるのと感覚ほとんど変わらんだろう。なんだこの布切れ…みたいなのもあるだろうに。触ってみてあーチクチクすんなあ、とか、着てみたら意外にちっちゃいな、デブに見えるなーとかあるだろう。
おおらかなんだと思う。インターネットで洋服を買える人って。余裕のあるひとなんだとおもう。
サイズわからないでしょ、と言ってみても、似たような身長のモデルさんが着てる写真あるからそれでわかるーと言う。
痩せるんだと思う。インターネットで洋服を買えるひとって。