アラサー現実に直面する

何も求めない米んち

日曜

お小遣い稼ぎの日曜。つまらん。

重い生理がきてしまった。痛い。そして心が晴れない。いつもなら、全世界に感謝したい、、とかおもうのに、全世界を憎んでる。なんだか集中力も散漫だ。うまく歩けない。コントロールが効かない感じがする。

 

気分の上がることをしたい。

携帯に入っている音楽はどれも古くて聴く気にならない。過去のことが思い起こされてつまらない。

いまはどんなことも疎く感じる。

 

 

気になる人に連絡してみたけど返信はこない。忙しいんだろう。

どうでもいい異性とだらだら過ごしたいと思ったけどそんな仲の男性はいない。どうでもいい異性といってもどうでもいいわけじゃないだろうし。

自分が誰かにとってどうでもよくない存在になった試しもない。

 

このあとなにをすれば気分があがるでしょうか。

 

 

いまは

土曜

誰かに会いたい、話したいとか思っている日はあんまり幸せじゃない気がする。

友達との約束が週に1回でもあれば、もう憂鬱だ。その日に向けて調整しなきゃならない。

そのときお金を使うだろうから節制するし、食材もその日にまでには使い切ろうと思うし、

洋服も、その日は外行きのものを着るだろうから、それまではダサいやつ着て、それまではメガネで、とかいろいろ考える。

人付き合いの悪さにはもう疲れた。どんだけ苦手なんだ。

なんたって身体が弱い。どこか一部でも調子が悪ければ、行きたくなくなる。病院通いで忙しい。治療費さえ抑えられたら、もっと好きなもの買えたり好きなもの食べたりできるんだろう。

 

いま阿佐ヶ谷で映画を観ようと思ったけど40分時間を間違えていて、急いで牛カツバーガーを飲み込んだことを後悔しているし、謎の公園のベンチにいる。遅れてしまうよりは余裕がある方がいい。ハエにたかられてる。

 

遅れても自分が困るだけの予定を組んで、音楽かけずにイヤホンつけて、まわりの人間の歩く速度なんか気にせずに小さい歩幅でトボトボ歩く。人との予定のある日は、歩みの遅い人におっせえなあ!と煽ったりしてるのに。

フードやニット帽をかぶって、ぐるぐるにマフラーをつけて、めがねで、マスクをして、誰にも会えないような可愛げのないボーイッシュこじらせ大学生みたいな格好をして、トボトボ歩いてるのが好きだ。

こうやって好きな映画をみにきたり、知り合いの出ていない好きな舞台をみたりするのが幸せだ。

もしくは帰宅してから一旦床に座って、何時までは自由時間…と決めて、肌をぼりぼり触りながら、スマホをいじったりしてるときも好きだ。誰もいないからできる行為。

 

 

生活にプラスαで楽しいことがあれば、もっと楽しいんだろうなってよく思う。過去を振り返るにはまだ早いだろうに、総括ばかりしてる。

秋が来た

今年はなんだかよくわからない病気がわたしを襲った。細々と調子の悪いこともあったし、

悪化するのが怖くてすぐに病院に行った。

医療費は莫大な費用になっている。

副作用で飲めない薬がたくさん溜まっている。

旅行好きのひとのパスポートのような、お薬手帳

 

ある人がわたしに教えてくれた。

どうにもならないよ、受け入れるしかない。

そう、病気になってしまったら治すように努力はするけど、悪化してしまったらどうにもならないし、その身体でやっていくしかない。

諦めるしかない。

それを聞いてからというもの、悪化したりよくなったりする身体を、ぼーっと眺めているだけだった。

それはそれは物凄い恐怖だったけれど。些細な変化に一喜一憂して。どうなるかわからないからね、予測できなくて毎日とても怖かった。

朝起きて、恐る恐る声を出してみた。

ああ、よかった、今日は出る。

 

なにをしても、健康な日なんてない。

いつもどこかが不健康だ。

 

 

今日は誰からも連絡がなかった。

 

 

いろんなことを少しずつ手離していく1年だったし、これから数年はそんなことが続くんじゃないかと思う。

ああ、やっと、自分が離れていった、

という感覚である。

向上心のある熱い人間である必要もないし、

夢を持たなきゃいけないわけじゃない。

どんどん自由になっていくなあ。

 

片思いの1年でもあった、

異性関係も、友人に関しても。

両思いって難しいんだな。

暴投しすぎたんだなあと深く反省しているので、これからは名キャッチャーでありたい。

なんて恥ずかしい毎日だったんだろう。

これが老衰というやつか。

なんだか今日は、自分にとっていいことをしてあげようと思える夜。 いつも何かに焦って悩んでいるけど、今日だけは、なにもしなくていいぞと、言える夜になりそうである。予定はもちろんない。 

 声の調子も治った。 声が出る幸せをめいっぱい噛み締めているとともに、二度とあんな辛い思いはしたくないと、日々、免疫が弱まらないように気をつけている。 
それでも家に帰ると、ご飯の支度、片付け、シャワー、寝る支度…であっという間に寝る時間になってしまって、ラグジュアリーのカケラもない。一人暮らしって、みんなどうやってるんだろう。好きなものはいつ買うんだろう、好きなものはいつ食べるんだろう。

 家事をしていても、心だけでもラグジュアリーになればいいと思うけど、そんな浮いた話もないし、考えるほどに凹む。 連絡こないなーとか、会いたいなーってばかり考えていて、まったくうきうきしない。 
電車とかで偶然にも会えたらいいのにな。 
全然いない。 今度いつ会えるか連絡したいけど、しないほうがいい気もするし。 自意識をぶっ壊して、ただただ明るく、恋愛したいと思う。まっすぐなひとでありたい。

 なんだろうな、今日のこの感じは。 誰かに会いたい。話したい。でも誰でもいいわけじゃない。欲がどばどば出る。
 なんかの間違いで、ものすごい奇跡とか起こらないかな。 
もう、充分に耐えたし、苦しんだし、 幸せになるには充分な状態なはずなんだけど。 謎の心のうきうきというか、落ち着き、なんやねん。あほか。期待するなや。 
と同時に号泣しそうな夜でもある。どっちに転ぶだろうか。

気分の上がる方向へ

スマホで長文を書くというのは、億劫で仕方ないのであります。

この度、キーボードを買いました。

物理ボタンを押すのが大好きなので、もうずっと打っていたい。


わたしはいま声帯をあれしてしまって、声が出ないんですけど

意思疎通ってのはスムーズなほうがよくて、

気を使ってしまう

神社へ

朝霞駅から降りて5分ほどの、出雲大社朝霞協会に行ってきた。

本当に、ちいーさな神社に、いくつもの神社がぎゅっと積み込まれていて、神様同士で喧嘩しないのかしら?と不安になる程だった。
えんむすびのお守りは、出雲大社と同様のデザインで、懐かしさを感じた。

縁結びも、病気平癒も、家内安全もここひとつで!というお得感満載の神社だった。

大黒様は病気平癒に効くという、よくなってほしい大黒様部位を触るとよいということで、喉をさわさわしてきた。

祈りをするときに、なんかこう、すみません、語彙力のなさが露呈するんですが、
心がシンプルになるというか、落ち着いたのよね。お祈りすることはひとつだけだから、これだけお祈りすればいいんだと思った。
神様の前では素直になるしかないな、、と思った
日曜の昼下がりだけど誰もいなくて、
それはそれで、わたしは居心地が良かった
帰り際に神主さんに挨拶すると、お気をつけて、と言ってくださって、なんだかとてもホッとした。

人の少ないホームで、ひともまばらな電車に揺られながら、知らない街の風景を眺めて、ふうーっと息をつくのが好きだ。

猛烈に好きなことってないけど、これだけは好きだ。時間に追われずに街を歩くこと。欲しくもない本を立ち読みしたり、なにか買おうか迷ったりして。余白。余白でしかない。
この余裕がないと、わたしはきっと潰れる。

いい時間を過ごせた。こういう日だけは、つくれるようにしよう。