アラサー現実に直面する

何も求めない米んち

ららぽーと

祝日。なんの予定もなくひとりぼっち。私鉄をもっと奥へ下って、大きなショッピングモールにきた。ららぽーとってやつだ。
天井は広いし、興味のあるお店がある。
本当は誰かと、車とかできて、だらだらと歩いてフードコートでだらだら食べて、車で帰るという最強のオアシスタイムにするはずなんだ。


でも今日は、というかいつも誰もいない。
人間でいるのはあと数日だというのに、こういう時に限って誰もいない。
最強の虚しいタイムになってしまった。
洋服を買おうと思ったけど、全然ピンとこない。また今度でいいかなあと思いながら選んでいるときは、無駄なものを買う可能性が高いので、だめだ。


こんなに遠くに来ても、わたしは無印良品の化粧水ひとつしか買えなかった。


何故だろうな。


こんな歳にもなって、こんなことしかできないんだな。

スケジュール帳

物にこだわりがありすぎる。執着持ちすぎ。

全然買えない。妥協したくないので、数ヶ月も悩む。

いまはスケジュール帳を探している。

無印の日曜始まりマンスリーの一番安いやつがよかったんだけど、無印の手帳はあっという間に売り切れる…悔しい…どうしてもあれがいいんだよ。。

安いから雑に扱える、すくんだベージュ、無地。とにかく無地。ビニールの表紙、マンスリーのみ、日曜始まり、メモのページ豊富。そのほか解説とかなにもなくていい。そして毎年挟む路線図。これがいいんだよ、この安くて、雑に扱える感!薄くて軽くて。ない!どこにもない!!ネットもない!

3月まで待つか、似たものを買おう。。日本語の少ないものがいいなあ。解説とかいらん。すぐ開ける段差みたいなのも、めくれてくるのが嫌だからいらん。

 


最近は、もうここ半年探し回っていた財布をやっと買った。前財布はかなり使い込んで、おまけに言えないほど安いものだったので、レジで出すのも恥ずかしいくらいだった。

1万以上2万以下、二つ折り。小銭入れは折った時外側、仕切りで2つ分の空間。カード入れるところ充実。ノーブランド。硬い感じの素材。

どこかしらの無名ブランドの革製品でもいいなあと思っていた。

この価格でブランドものの二つ折りといえば、まあ限られてくる学生ブランドになってしまうし、もしブランドものだとしたらジミーチュウじゃなきゃ嫌だと思っていた。

探し回ってみつけた、革の財布。ものすごく愛着が湧いている。探し求めていたものだった。。ありがとう。。。

 


思えばスマホケースもめちゃくちゃ悩んだ。

リング付き。手帳じゃないやつ。軽いやつ。

背面ガラス絶対死守。できれば透明で赤を見せたかったけど、死守を死守して、ゴツゴツのビビッドピンクのケースになってしまった。でも高値だったし、リングもなかなか頑丈で、半年以上経つけどしっかり安定している。

 


この歳になると、パステルカラーは選ばなくなった。あと寒色系も手持ちのものはほとんどない。赤、ビビッドピンク、茶色、ベージュあたりのものばかりだ。まあそんなもんかあ。昔からピンクだらけだもんなあ。わたしらしさってこんなもんかあ。なんで寒色系の色は使わないんだろう。

 


そんでもって、これを書き終わったあと、駅の書店で適当なのを買ってしまった。そんなもんだ。いま目の前にあるものでどうにかするのも才能だよ。がんばれ。

顔見知り

顔見知りがほしい

お互い同じ距離感を感じながら、インスタントで、笑顔で挨拶できるひと。

 

チャットなんかいい具合だったのにな。

ツイッターなんかはフォローとかフォロワーとかめんどくせえ。

 

毎日寂しい。

ほとんどだれとも話しはしないし。

挨拶がしたい。寂しい。

雨宮まみさん

なんだかよくわからないけど、

雨宮まみさんは味方って感じがした。

エッセイや著者を読んで、目から鱗!激しく共感!ってのはそうなんだけど、

地味で日陰で生きてるようなわたしなんかにも手を差し伸べてくれるような存在だった。

寄り添って、叱って、褒めて、慰めてくれる。

そんでもって、力強く生きている。

わたしたちの代表!!!!って感じだった。

亡くなってしまったとき、素直に、

雨宮まみさんがいないこの世でどうやって生きていけばいいんだ。これからどうしようっておもった。代表ぅ。

お手本だった、どんな風に生きていくのかずっと見ていたかった。指標だった。

 

たすかった、彼女はたくさんの言葉を残していってくれた。本はもちろんだけど、ありがとうインターネット。未だにこのかけらを拾い集めては泣いている。不思議な存在だなあ。今も全然、めっちゃ寄り添ってくれてる。多くのファンのみんなそう思ってる。

 

友達がすすめてくれたラジオで、ジェーンスーさんという方を知った。相談は踊るはいつも聞いている。こんな人になりたい!!

相談したいなあと思ってメールを作成してみたけど、根が深すぎて、送れない。絶望の回になってしまう。簡潔にまとめられたらなあ、、

 

歯にのりがついてるよ、とか、

髪にごみついてるよ、とか、ちゃんと言ってくれそうな人。

 

カラオケ

失恋するとカラオケに行きたくなる。自慢であるが、歌は人並み以上にうまい。
失恋したって、わたしは歌がうまいんだ、デキた人間だわ、と自己肯定感をアゲアゲにすることができる。
アラサー独身女がひとりでカラオケに入場する様は、本当に見るに耐えないシーンである。


好きな人とは必ずカラオケにいく。
そのときどんな風に歌ってたかな、と改めて自分の歌を聴きにいくのだ。
ああ、やっぱり上手だ。これはもう、グッときただろうな、この部分。この大サビの前の一旦静かになるところね。この部分最高。この部分のわたし最高。
このサビの可愛い感じのところ、横に揺れてみたりして最高に可愛いやんけ。グッとくるやんけ!!これは落ちたでしょ。可愛いわたし

 


※ 振られています。

 


そう。結果すべて振られている。歌以外の全部がダメだったんだろうなと思っている。歌は間違いなかった。そう思っている。

 


カラオケにいく理由はもうひとつあって、その失恋の清算にもなっている。
そのときよく聞いていた曲を歌ってみたり、片思いや失恋の歌を歌ってみたりして、ああやっぱり今回も楽しい恋だったなあ!相手の顔を思い浮かべて、やっぱり素敵な人だったなあと考える。
好きになるくらいなんだから、いつ考えたって、めちゃくちゃ素敵なのである。

 


こんないい人がいてね!と話をしたときの、
いいじゃん〜〜!!という友人たちの笑顔が大好きなのである。それは本当だ。
恋は楽しさしか産まない。自分と、相手と、自分の周り含め、大好きで楽しいものなのだ。

コーヒー

昨日ほんとひどいな、死んでるな。

 

これから夜に用があるので、高級住宅街のオシャレスポットをぐるぐるしている。

だいすきなコーヒー屋さんがたくさん東京進出してくる。

ほんとにこのメーカーさんはなぜか縁のあるというか、ポッとわたしの目の前にあらわれる。

知り合いの先輩が就職してバリスタになって、なんとなく名前は覚えてて、

バリスタ志望の彼と付き合ったときにこの社名を言ったら、いいなあ!と言っていたのもよく覚えている。

この人が、わたしにコーヒーを教えてくれた。

コーヒーなんてまったく飲めなかったのに、美味しいコーヒーがどういうものか教えてくれて、その熱意もうらやましかった。

彼のことは全然好きじゃなかったけど、とてもかっこよかったので、一瞬の夢見たいな日々で、手放すんじゃなかったな〜とも思うけど、全然好きじゃなかった。

 

その数年後、

めちゃくちゃ好きだった人の地元が発祥の地域で、その地域の水族館にいったら、館内のショップにおいてあるコーヒーが、やはりこのメーカーだったし、

そのデートのドライブ中にも、あ!ここ知ってる!と指差してその人に教えたもんだった。

地元のくせに知らなかったみたいで、へえ〜と言ってたけど、これからこの知識はわたしのあとの女たちに受け継がれていくんだろうと思うし、このメーカーを見るたびにわたしのことが一瞬でも頭によぎってくれるんだと思うと、

 

このメーカーには頭が上がらない。ありがとう。わたしの恋路にたびたびあらわれる。

 

過去の恋愛は泥沼だらけだけど、すべて楽しかったと思ってるし、いまこんなにコーヒーが好きなのも、それを表している。コーヒーの話題が出るたび、ちょっとわくわくする。

大変すごいことだと思ってるんです、

大都会にひとりで暮らして、大都会で働いて、大大大都会を通って、大都会に帰ってるんです。

暮らしてるところはばかにされるようなところなんでしょうけど、東京の真ん中です。真ん中といっても外れなんだけど。

服を買って、食材を買って、なんとかかんとか生きています。ほんとにこれは、きっとすごいことなんだと思います。どっかでぬくぬくいい感じに生活している自分がみたら、きっと驚くと思います。よくそんな勇気があるもんだと。強いねと言うでしょう。

 

相当に心細いと思います。おそらく自殺してしまうひとだっていると思います。たったひとりで生きてます。ひとりじゃないでしょ、とか言われるんでしょうけど、ひとりです。私が一人と思えばそれはひとりです。

みんなが思うようなことと、私が思うようなことには大きな違いがたくさんあります。なにをそんな被害妄想だよ、と言われるんでしょうけど、私がそう思えば、そうなんです。

 

抱えきれない膨大な不安を背負ってます。肩が死ぬほど重いんです。一緒に背負ってくれる人もいなければ、重そうだねと言ってくれる人もいません。もしかしたら軽いのかもしれない、でもわたしが重いなと思えば、それは重いんです。

 

会いたい人には会えないし、会いたくない人には会わなきゃいけないし。

人身事故が起こるたび、なんとなくその飛び込む気持ちがわかるんです。これでなにか変わるのかなって思って飛び込むんだと思います。生きて文字打ってる人間になにがわかるんだって言われるかもしれないけど、わたしがわかる気がすると思ってるだけです。

 

さっき池袋に行ってみました。たくさんの人がいてホッとしました。いろんな人がいるなと思ってホッとしました。渋谷に行って騒ぐ人の気持ちもわかる気がします。声かけてほしいとか、見ず知らずのひととなにか共有するのは楽しい。めんどくさくない。その場で立ち去ってもいいんです。めんどくさくないものを選びたいです。楽だから。人生一回しかないから。

 

 

このまま精神が壊れたまんまでいると、わたし破産するんじゃないかしら。だれか、肩揺さぶって、オイオイ!大丈夫かよ!目ぇ覚ませ!!ってやってくれないだろうか。オイオイってされるような状態だということすら、誰も知らないです。みんなから見たわたしは元気です。それが大人ってことらしいです。準備不足でした。もう少し、暗い人間だということを提示してくればよかった。大丈夫、大丈夫と言わなければよかった。わりとピンチです。ヘルプです。

 

精神的なひとりです。まわりに誰もいません。

この世から消えて、そしたら、わたしはこんな連絡をとっていました、彼女は元気でしたってことにして、粉になりたい。